片平信貴と技術者達
KATAHIRA & ENGINEERS INC.と表記するこの社名は、創設者の一人である故片平信貴が「一人一人の技術者がその専門分野で本当の意味でのコンサルタントであるように」との思いをこめたものです。それはまた、片平信貴と、彼を囲む技術者たちの思いが込められています。
片平信貴について
片平信貴は、日本道路公団を退職後、昭和45年9月1日、新橋で株式会社片平エンジニアリングを設立しました。
設立趣旨
現在を大切にしながら、未来に手をさしのべないでは居られない技術者達が、小さなコンサルタントの会社を創りました。会社と云うより、専門的な技術者の集団、そんな風に理解していただいた方が良いと思います。
一人ひとりの技術者が、その専門分野での本当の意味でのコンサルタントであるように、今日までの経験の上に新しい技術を積み重ねていきたいと思っております。
このような私たちの願いが日本のコンサルタントの将来につながるだけでなく、日本の技術の未来に関わることを強く念願しております。
その後、国内はもとより海外にも仕事の場を広げ、多くの高速道路の建設に携わりました。
また、高速道路の量的拡大が重視されていた時代から、景観の重要性を説いていました。
片平信貴の原稿
片平信貴が、後年、創成期の高速道路建設や、これからの高速道路のありかたについて、記したものの一部です。
- 「名神高速道路の一部完成までをかえりみて」(道路 1963年8月)
プロジェクトX(2003/7/15)で引用された文章です。 - 「道路の体温」(高速道路と自動車 第29巻 第4号 1986年4月)
- 「コンサルタント・ドルシェさん」(高速道路と自動車 第30巻 第3号 1987年3月)
- 「景観設計に色を」(高速道路と自動車 第32巻 第6号 1989年6月)
- 「天命を知る人−片平信貴さん」(著:武部健一氏 高速道路と自動車 第33巻 第3号 1990年3月)
技術者として
「切土のり面は緑に・滑らかに」
東名高速道路を走ると、神奈川・静岡県の県境にある都夫良野トンネルの通過前・後で、切土のり面の雰囲気の違いに気がつかれる方も多いと思います。
これは、故片平信貴が「のり面の基本は緑である。緑の自然を復活させることが景観に優れ、走行に安らぎを与えるものだ」との信念から、現場の技術者を指導してきたことが、今こうして静岡県側の切土のり面に結果として現れてきているのです。
このような信念を持たれていたので、名神高速道路改築の折りには、切土のり面に自生した松等の木々を伐採することに躊躇され、何とか残す方法がないかと悩まれていました。
また、切土のり面のラウンディングについても同様に指導され、その結果、東名高速道路の切土のり面の形状は、他の高速道路では真似のできない丸みを帯びた滑らかなものとなっています。
現在の高速道路は、遮音壁により外部景観を楽しむ区間が少なくなりつつありますが、このような思いでつくられる切土のり面も多くあります。ぜひ一度、切土のり面にも注目していただきたいと思います。
| 西暦 | 和暦 | 月日 | 片平信貴の経歴 | 高速道路に関する主な出来事 |
|---|---|---|---|---|
| 1913 | T2 | 9月13日 | 福島県に生まれる | |
| 1936 | S11 | 東京帝国大学工学部土木工学科卒業 | ||
| 1936 | S11 | 4月17日 | 内務省雇 土木局第一技術課 | |
| 1937 | S12 | 5月4日 | 内務技手補 荒川上流河川事務所 | |
| 1938 | S13 | 7月18日 | 内務技手 東京土木出張所 | |
| 1948 | S23 | 1月1日 | 総理庁技官 建設院地政局 | |
| 7月10日 | 建設技官 建設省道路局 | |||
| 1951 | S26 | 4月1日 | 土木専門官 | 建設省「高速自動車道路調査」開始 |
| 1952 | S27 | 8月1日 | 大臣官房審議室 | 新道路法成立 |
| 10月1日 | 同上主査(道路局道路企画課併任) | |||
| 12月1日 | 大臣官房建設機械課長 | |||
| 1956 | S31 | 4月16日 | 日本道路公団設立 | |
| 4月20日 | 日本道路公団計画部技術課長 | |||
| 5月19日 | →日本側調査協力者として従事 | ワトキンス調査団来日 | ||
| 1957 | S32 | 10月21日 | 名神高速道路部第一課長 | 国土開発縦貫自動車道建設法、高速自動車国道法成立、名神高速道路着工 |
| 1958 | S33 | 5月1日 | 名神高速道路部長 | |
| 1960 | S35 | 2月5日 | 世界銀行借款交渉および調印のため、アメリカ合衆国出張(3月24日まで) | 名神高速道路建設費世界銀行借款成立 |
| 1961 | S36 | 5月16日 | 高速道路計画部長 | |
| 1962 | S37 | 6月1日 | 高速道路第一部長 | 中央高速道路、東名高速道路着工 |
| 1963 | S38 | 7月16日 | 名神高速道路 栗東〜尼崎区間開通 | |
| 1964 | S39 | 4月16日 | 日本道路公団理事 | |
| 8月1日 | 高速道路静岡建設局長併任(昭和43年5月1日まで) | |||
| 1965 | S40 | 7月1日 | 名神高速道路 全線開通 | |
| S44 | 3月31日 | 東名高速道路 全線開通 | ||
| 1970 | S45 | 6月30日 | 日本道路公団理事退任 | |
| 9月1日 | 株式会社片平エンジニアリング代表取締役社長 | |||
| 1983 | S58 | 12月17日 | 株式会社片平エンジニアリング代表取締役会長 | |
| 1987 | S62 | 5月1日 | 株式会社片平エンジニアリングインターナショナル会長 | |
| 5月2日 | 株式会社片平エンジニアリング名誉会長 | |||
| 1989 | H元 | 7月3日 | マニラにて逝去(享年75歳) |
叙位叙勲
| 昭和48年8月28日 | 天皇賜杯(銀杯3号) |
|---|---|
| 昭和58年11月3日 | 勲三等に敍せられ瑞宝章を授与される |
| H元年7月3日 | 特旨をもって従四位に敍せられる |
著作
| 道路工学概論(共立出版) | 昭和31年 |
|---|---|
| 道路工学(技報堂) | 昭和31年 |
| 名神高速道路−日本のアウトバーンの誕生(ダイヤモンド社) | 昭和40年 (編著) |
ここでは、片平信貴の遺志を継ぐ技術者達をご紹介していきます。
技術者達
大泉紀男(顧問)
大泉は、「道づくりの現場にある土・木・石に代表される建設材料と、地域の方々の知恵と知識を取り入れて、道づくりを行う」という道普請の精神に基づいて、「道づくり・道づかい」を考え続けてきました。
日本道路公団在職中は、草地管理において従前の機械による管理だけでなく、ヤギなどの動物による自然環境にやさしい手法を取り入れるなど、話題になりました。 また、現在は、「みちのくグリーンサムクラブ」の会長として、地域コミュニティとのイベント活動を実現するなど、その活動は多岐に渡ります。土地を活かし、共に生きることを体現するため、現在も社内外で活躍しています。
近年は、高齢者に活躍と交流の場を提供する「老知苑」の実現を推進しています。 「老知苑」は、元気に働く高齢者を医療面等でサポートしつつ、高齢者の知恵を次世代に伝えてゆく機会を提供できる場として、注目されています。
「植栽から職際、そして食彩へ」と職域を拡げつつあります。
略歴
| 昭和38(1963)年4月 | 東京農業大学農学部造園学科卒業 |
|---|---|
| 日本道路公団入社 | |
| 平成4(1992)年2月 | 日本道路公団退社 |
| 株式会社片平エンジニアリング入社 |
講演会活動関係
- 生態環境実験実習Ⅱにおける特別講義 H13.11.20〜H14.1.22 (和歌山大学)
- 道路景観,環境,造園に関する講義 H13(兵庫県立淡路景観園芸専門学校) ほか
委員会活動関係(H13〜)
- 国営みちのく杜の湖畔公園整備計画検討委員会 委員
- 高速道路の景観資源評価に関する調査検討委員会 委員
- 道路景観研究委員会 委員
- 社団法人建設コンサルタンツ協会常任委員会 委員
- 平成15年度 環境緑化技術検討会 講師
- 上信越道周辺果樹に関する検討会
- 道路景観研究委員会 委員
- 「自然環境の保全と緑化」編集委員会 委員
- 北関東自動車道エコロード検討(その2)委員会 委員長
- 社団法人 道路緑化保全協会 技術委員会 副委員長
以上H13年以降 ほか多数
その他
- みちのくグリーンサムクラブ会長
- 社団法人 日本造園建設業協会 理事
- 「高速道路はじめて物語」編集分科会 幹事
- 「高速道路はじめて辞典」編集分科会 幹事
- 論文「芝生地の生態的管理と地域コミュニティーの形成の可能性」 芝草研究 第32巻 第1号 別刷
ほか多数